翻訳と辞書
Words near each other
・ リューリカ
・ リューリカ AL-21
・ リューリカ AL-5
・ リューリカ TR-1
・ リューリカ・サトゥールン
・ リューリカ設計局
・ リューリカ=サトゥールン
・ リューリカ=サトゥールン AL-31
・ リューリク
・ リューリク (曖昧さ回避)
リューリク (装甲巡洋艦・2代)
・ リューリク (装甲巡洋艦・初代)
・ リューリク1世
・ リューリク2世
・ リューリク・ロスチスラヴィチ
・ リューリク・ロスチスラヴィチ (キエフ大公)
・ リューリク・ロスチスラヴィチ (ペレムィシュリ公)
・ リューリク家
・ リューリク朝
・ リューリック


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

リューリク (装甲巡洋艦・2代) : ミニ英和和英辞書
リューリク (装甲巡洋艦・2代)[よ, しろ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
装甲 : [そうこう]
  armoured 
甲巡 : [こうじゅん]
 【名詞】 1. armored cruiser 2. armoured cruiser
巡洋艦 : [じゅんようかん]
 (n) cruiser
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

リューリク (装甲巡洋艦・2代) : ウィキペディア日本語版
リューリク (装甲巡洋艦・2代)[よ, しろ]

リューリク(〔革命前のロシア語正書法による表記にアクセント記号を付与したもの。現代ロシア語の正書法では。〕 )は、ロシア最後の装甲巡洋艦である。第一次世界大戦開戦時には、ロシア帝国海軍バルト艦隊旗艦であった。ロシア革命後はロシア帝国から臨時政府に所有が移り、その後ロシア共和国を経てロシア・ソヴィエト共和国に保有された。
ロシア海軍では当初は一等巡洋艦()に分類されたが〔当初の分類については特に言及がないが、海軍に登録された1905年の時点ではいわゆる装甲巡洋艦は一等巡洋艦に分類されていて海軍に装甲巡洋艦という類別が存在しなかったため、リューリクについても一等巡洋艦に分類されていたものと推測される。〕、1907年9月27日〔当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では10月10日に当たる。〕付けの海軍艦船分類法改正で装甲巡洋艦()〔 〕、1915年7月16日〔当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では7月29日に当たる。〕の海軍艦船分類法改正で巡洋艦()に類別を変更された〔 〕〔ただし、装甲巡洋艦のままであったように書かれることがある。〕。
艦名1852年以降ロシア海軍で切れ目なく受け継がれてきた〔 〕由緒ある名で、ノヴゴロドルーシの統治者でロシア最初の王朝〔当初はルーシの公朝であったが、のちにロシア・ツァーリ国などロシア国家の王朝がルーシのリューリク朝を継承する。また、当時のロシアではキエフ・ルーシはロシア国家の始祖とする説が採用されていたため、リューリク朝は紛れもないロシア王朝の始祖であった。〕の始祖とされるリューリク公に由来する。
ロシア史上、実質的に最後にして最大最強の装甲巡洋艦であり〔ペーパープランに終わった艦、途中で類別が戦列巡洋艦に変更された艦などを考慮に入れない。〕、造船技術史上は戦列巡洋艦〔ロシア海軍における1915年7月16日以降の分類で、イギリス海軍などにおける巡洋戦艦に当たる艦種。〕への過渡期に当たる艦とされている〔 〕。
リューリクの乗員たちを、リューリコフツィ()〔一人の場合(単数形ではリューリコヴェツ()。〕と称した。''。〕 )は、ロシア最後の装甲巡洋艦である。第一次世界大戦開戦時には、ロシア帝国海軍バルト艦隊旗艦であった。ロシア革命後はロシア帝国から臨時政府に所有が移り、その後ロシア共和国を経てロシア・ソヴィエト共和国に保有された。
ロシア海軍では当初は一等巡洋艦()に分類されたが〔当初の分類については特に言及がないが、海軍に登録された1905年の時点ではいわゆる装甲巡洋艦は一等巡洋艦に分類されていて海軍に装甲巡洋艦という類別が存在しなかったため、リューリクについても一等巡洋艦に分類されていたものと推測される。〕、1907年9月27日〔当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では10月10日に当たる。〕付けの海軍艦船分類法改正で装甲巡洋艦()〔 〕、1915年7月16日〔当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では7月29日に当たる。〕の海軍艦船分類法改正で巡洋艦()に類別を変更された〔 〕〔ただし、装甲巡洋艦のままであったように書かれることがある。〕。
艦名1852年以降ロシア海軍で切れ目なく受け継がれてきた〔 〕由緒ある名で、ノヴゴロドルーシの統治者でロシア最初の王朝〔当初はルーシの公朝であったが、のちにロシア・ツァーリ国などロシア国家の王朝がルーシのリューリク朝を継承する。また、当時のロシアではキエフ・ルーシはロシア国家の始祖とする説が採用されていたため、リューリク朝は紛れもないロシア王朝の始祖であった。〕の始祖とされるリューリク公に由来する。
ロシア史上、実質的に最後にして最大最強の装甲巡洋艦であり〔ペーパープランに終わった艦、途中で類別が戦列巡洋艦に変更された艦などを考慮に入れない。〕、造船技術史上は戦列巡洋艦〔ロシア海軍における1915年7月16日以降の分類で、イギリス海軍などにおける巡洋戦艦に当たる艦種。〕への過渡期に当たる艦とされている〔 〕。
リューリクの乗員たちを、リューリコフツィ)〔一人の場合(単数形ではリューリコヴェツ()。〕と称した。'')〔一人の場合(単数形ではリューリコヴェツ)。〕と称した。'')。〕と称した。
== 概要 ==

=== 計画 ===
日露戦争が開戦すると、太平洋連合艦隊〔との区別のため、の訳に「連合艦隊」を当てている。日本海軍の聯合艦隊とは異なる組織であるが、単一の司令官の下に置かれる複数の艦隊からなる臨時編成の大艦隊ということで便宜上、この用語を充てる。なお、辞書による翻訳は「大艦隊」であるが、「艦隊」()より大きな組織であるかのごとき誤解を生むため、原則として使用しない。〕の補充のため、海軍省は信用貸しで新しい巡洋艦を建造することにした。この艦は、1907年から1911年度の「小規模」艦船プログラムの枠内で建造されることになった。艦は砲塔を持つ排水量15000 t級の装甲巡洋艦で、1895年バルト工場によって提案されて建造されたペレスヴェート級艦隊装甲艦1892年2月1日改正から1907年9月27日改正までのロシア海軍の艦船分類において、艦隊装甲艦はイギリス海軍などでいうところの戦艦に相当する艦種であった。なお、ペレスヴェート級は1916年から巡洋艦に分類を変更されている。〕の発展型という構想であった。設計は海軍技術委員会(MTK)で行われたが、委員会は日露戦争で得られた巡洋艦の艦隊任務と実戦経験に基づく最新の観点を考慮しながら、他国の海軍の装甲巡洋艦との戦闘能力の比較検討を重ねたため、艦の起工は日露戦争終結までには間に合わなかった。
日露戦争が終結したとき、ロシア帝国海軍は持てる装甲巡洋艦群に大打撃を被っていた。早急に新しい装甲巡洋艦を揃える必要に迫られたが、それゆえに新型艦の設計の完成を待っている時間はなく、戦前にフランスで建造された装甲巡洋艦バヤーンをモデルにした3 隻の装甲巡洋艦を大至急発注することになった。戦争終結を待たずして1 隻がフランスで、残る2 隻がロシアの造船所で起工した〔 〕。その最初の艦の名からアドミラール・マカーロフ級と呼ばれる再生産型バヤーン級装甲巡洋艦は、しかしながら日露戦争の戦訓を取り入れた設計ではなく、もはや初めから時代遅れのものになることがわかりきった艦であった〔バヤーンは、元来日清戦争において致命的な脆弱性を露呈した防護巡洋艦に対する不信から設計された軽量・高速の装甲巡洋艦であった。艦の規模を従来のジアーナ級防護巡洋艦並みに抑えるために武装が抑えられており、従来の重装備の装甲巡洋艦と比べれば、元々迫力に欠ける艦であった。それでも防御・速力に優れある程度の武装を持ったバヤーンは日露戦争時のロシア海軍で最も優れた巡洋艦であり、日露戦争終結前から海軍省は改良を加えた準同型艦、すなわちアドミラール・マカーロフ級3 隻を発注した。〕。
これらの艦で間を稼ぎつつ、ロシアは日露戦争の血の戦訓を取り入れた新しい装甲巡洋艦の設計を続けた。海軍上層部はアドミラール・マカーロフ級では重要な任務を遂行するには心許ないと考えており、戦列艦隊との協同作戦を遂行できる強力な巡洋艦を要求した〔 〕。その設計は、皇帝ニコライ1世海軍技術学校出身の若い技師V・P・コステーンコの計画論文を基に構想された。彼は自身の卒業論文で新しい軽量高速装甲巡洋艦計画について研究しており、日露戦争では艦隊装甲艦オリョールの建造に携わって戦場まで赴き、日本軍捕虜となった経験があった。戦後は、1906年に新しい艦隊装甲艦アンドレイ・ペルヴォズヴァーンヌイの建造に補佐官として参加していた。
この時期、国内産業だけでは海軍再建を賄いきれないと考えた海軍省は海外への発注を増やし、また海外企業との共同開発を積極的に行っていた。この時期のみならず、ロシアでは国内経済が外国資本に依存していたこと、外国からの借財がなければ成り立たない状態であったことも外国への艦船発注の要因であった。こうした伝統と目下の経済情勢の中、新型巡洋艦の1番艦の受注も、ロシア海軍から多大な期待を寄せられたイギリスヴィッカース=アームストロング社が勝ち取ることとなった〔。新型巡洋艦の設計は、ヴィッカースとの共同作業で完成された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リューリク (装甲巡洋艦・2代)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.